自覚アリ。表向きは「優しい」が「クズで、ろくでもない」。そんな僕の生存戦略【鹿児島市A型事業所】

生存戦略

久しぶり!

 

S・Kだよ~~~ん

最近、たまにだけど「S・Kさんって優しいよね」なんて言われることがある。

……正直、それを聞きながら心の中で盛大に苦笑いしている自分がいる。😅

 

僕を構成する三つの要素

客観的に自分を分析してみると、僕という人間は、だいたい以下の三つの要素で構成されているらしい。

 

★優しい(たまに言われる表面的な顔) ✨
★クズ(自分だけが知っている内面の顔) 👿
★ろくでもない(否定しようのない本質) 🍺

なかなかのギャップだろぉ

 

「優しい」と言われる理由について

人から「優しい」と言われる理由は、おそらく僕が「他人に期待していない」からだと思う。

怒るのもエネルギーがいるし、揉めるのはもっと面倒くさい。

だから適当に相手に合わせて、波風を立てないようにニコニコしているだけ。

面倒だし

それが結果的に「物腰が柔らかい人」に見えているんだろう。

 

化けの皮を一枚剥げば、中身は「クズ」

でも、その化けの皮を一枚剥げば、中身はなかなかの「クズ」だ。

自覚はある。

やるべきことを後回しにして一日中スマホを眺めていたり、自分に甘いくせに他人の小さなミスを心の中で嘲笑ったり。

そんな感じ

情熱なんてどこかに置き忘れてきたし、努力という言葉とは一生疎遠な気がする。🚬

 

鏡を見るたび「ろくでもない人間だなあ」

 

おれって

「ろくでもない人間だなあ」と、鏡を見るたびに思う。

世の中の「ちゃんとした大人」たちが必死に社会を回している横で、自分だけがずっと人生のサボタージュを続けているような感覚。

責任からは全力で逃げたいし、楽な方へ、楽な方へと流されるまま生きている。🌊

 

冷めた目で、自分を見つめている自分

でも、そんな「クズでろくでもない自分」を、どこか冷めた目で見つめている自分がいるのも事実。
「優しい」という評価を隠れ蓑にして、ろくでもない毎日をそれなりにこなす。

自分に甘い

それは立派な生き方とは言えないかもしれないけれど、ある意味、すごく人間臭い生存戦略なのかもしれない。
完璧な善人でもなければ、救いようのない悪人でもない。

ただただ、どうしようもなく「自分に甘い」だけ。

 

「優しい」「いや、クズですよ」心の中で毒づく

クズですよ

 

こんな僕だけど、明日もきっと誰かに「優しいですね」って言われながら、心の中で「いや、クズですよ」と毒づいて、適当に生きていくんだろうな。

まあ、それはそれで、僕らしい日常なのかもしれない。🌿

 

≪文:S・K≫

 

 

【就労継続支援A型事業所 カインド】

【障害者総合支援法における就労系障害福祉サービス/厚生労働省】