障害者の生きがいとは?「一度きりの人生」を停滞させない自立と成長の思考法 【A型事業所カインド】
はじめに:人生の責任は、誰が持つのか
「人間は本当に、望んで生まれてきたのだろうか?」 そう自問したとき、迷わず「イエス」と答えられる人は少ないかもしれません。親も選べず、生まれ持った環境や体質、あるいは人生の途中で負った疾患や事故によって、あらかじめ道が制限されてしまうこともあります。
しかし、どのような背景があろうとも、この世に生を受けた以上、私たちは自分の人生に対する「全責任」を負わされます。これは障害者であっても健常者であっても変わらない、冷徹で、かつ公平な事実です。
本記事では、脳神経の疾患による精神障害を抱えながら、不登校や解雇、福祉事業所での経験を経て、現在「スタッフ候補」として新たな一歩を踏み出している私の視点から、いかにして人生にやりがいを見出し、停滞を防ぐべきかについてお伝えします。
1. 「衣・食・住」の先にあるもの:生存と生きがいの境界線
人間が生きていくために最低限必要なのは「衣・食・住」の3つです。これらを確保するためには、働いて生活費を稼ぎ、社会のどこかに所属しなければなりません。
特に不景気な現代において、健常者でさえ就職が困難な中、障害者の就労はさらに険しい道のりです。私自身、一般就労で障害を隠して働いた際には、結果として症状が出たため理解を得られず居場所を失う経験もしました。
こうした厳しい現実の中で、多くの人が「食べていくために仕方なく働く」という状態に陥ります。もちろん、衣食住を維持すること自体が立派な達成です。しかし、それだけで人生を終わらせてしまうのは、あまりにも寂しいことではないでしょうか。
2. 「停滞」は「衰退」と同じであるという鉄則
私は自分の人生において、ある一つの「鉄則」を持っています。それは、「目標を持ち、努力を継続すること」です。
人間は、たとえ障害という制限があったとしても、成長を止めればその瞬間に停滞し、やがて死を迎えるまで衰退していくだけの存在になってしまいます。 「適当に生きていければいい」という考え方を否定はしません。しかし、私にとって成長のない人生は、生きていながら止まっているのと同じです。
自立心を持つ: 周囲に支えてくれる人がいたとしても、結局のところ、自分の人生を歩めるのは自分しかいません。他人に依存しすぎれば自立心を失い、魂は衰退します。
小さな目標の積み重ね: 壮大な夢である必要はありません。今日より明日、少しでも自分を高められる何かを見つけること。その繰り返しが、人生の密度を濃くしていきます。
3. 偏見と向き合い、自分を客観視する
障害を抱えて生きる中で、私は多くの差別や偏見にさらされてきました。一般企業という複雑な人間関係の中では、障害者をあからさまに嫌う人間も存在します。
しかし、振り返ってみれば、偏見は人間が持つ感情の一側面であることも事実です。私自身、自分の中に「偏見がない」とは言い切れません。
例えば、道の真ん中を歩く視覚障害の方に対し、「気を遣ってあえて見ないようにする」こと。重い身体障害の方を見て「大変そうだな」と感じること。これらもまた、ある種の偏見や区別が含まれているのかもしれません。
大切なのは、そうした視線や感情が存在することを認めた上で、自分はどう生きるかです。私が福祉事業所で出会ってきた人々の中には、周囲の視線を物ともせず、人の中に混ざり、強く自分の人生を生き抜こうとする人が大勢いました。その強さこそが、偏見を乗り越える唯一の手段なのです。
4. 現在の挑戦:利用者からスタッフ候補へ
現在、私は就労継続支援A型事業所「カインド」で、利用者からスタッフの補佐的な役割を担うという転換期にいます。半年間という試用期間は、私にとって非常に重要な時間です。
ここで私が意識しているのは、「与えられたことだけをやる」という受動的な姿勢ではありません。
主体的な学び: 利用者の立場では見えなかった視点、できなかった業務を自ら見つけ、吸収すること。
自律の心: 職場という環境にある「良い緊張感」を味方につけ、自分を厳しく律すること。
脳神経の疾患を抱える私は、いつ症状が再発するか、いつ動けなくなるか分からないというリスクを常に背負っています。だからこそ、限られた時間を有効活用し、「今、この瞬間にしか得られないもの」を掴み取ることに必死なのです。
おわりに:割り切りで終わらせない人生を
「仕事をして、食べていければそれでいい」 そう割り切るには、人生はあまりにも長く、そして一度きりです。
障害があることで、選択肢は狭まるかもしれません。それでも、今の環境の中で自分を高める努力を放棄するのか。それとも何かを見つけるために努力を惜しまないのか。
毎日小さな目標を持ち、昨日できなかったことを一つでもクリアしていく。その積み重ねが、やがて「生きていてよかった」と思える自分だけの生きがいに繋がります。
私はこれからも、自分を律し、周囲との関わりの中で刺激を受けながら、この限られた時間という資産を最大限に使い切るつもりです。それが、私を狂わせた「障害」という運命に対する、私なりの最大限の回答なのです。
《ベルリン》





