【桜島の灰とバリアフリー】降灰が障害者に与える影響とは?【鹿児島市A型事業所】
1. はじめに:鹿児島の象徴「桜島」がもたらすもう一つの現実
鹿児島県民にとって、雄大な桜島は誇りであり、日常の風景です。
しかし、その活動に伴う「降灰」は、私たちの生活に避けては通れない影響を及ぼします。健康な体であれば、灰が降れば傘を差し、目や口を覆って足早に目的地へ向かうことができます。
また、視点や立場を変えてみると、この「当たり前の行動」が極めて困難な方々がいます。車椅子利用者や視覚障害を持つ方々にとって、鹿児島の空から降る灰は、時に大きな壁となり、移動の自由を奪う深刻な障害物となるのです。
本記事では、降灰とバリアフリーの課題、そして私たち一人ひとりができる心のバリアフリーについて考えていきます。
2. 降灰が身体障害者・視覚障害者に与える「見えない脅威」
降灰は単に「汚れる」だけではありません。身体的な制約がある方々にとっては、衛生的・物理的な危険が伴います。
車椅子利用者にとっての困難
車椅子を操作しながら傘を差すことは、物理的に非常に困難です。
介助者がいない場合、全身で灰を浴びることになり、服や肌だけでなく車椅子の精密な駆動部分に灰が入り込み、故障の原因になることもあります。
また、路面に積もった灰は、雨が降ると非常に滑りやすくなり、車輪の空転や転倒のリスクを高めます。
視覚障害者にとっての恐怖
視覚障害を持つ方にとって、灰は「眼球を傷つける」直接的な凶器になり得ます。目を守るために手で覆うことが難しいため、炎症や痛みを引き起こすリスクが常にあります。さらに、点字ブロックの上に灰が堆積すると、足裏や白杖(はくじょう)に伝わる感触が鈍くなり、自分がどこを歩いているのかという唯一の手がかりを奪われてしまうのです。
3. バリアフリーの現状とハード面の限界
現代社会において、スロープの設置や段差の解消といったバリアフリー化は進んでいます。しかし、鹿児島特有の「降灰対策」としてのバリアフリーは、まだ十分とは言えません。
例えば、バス停や主要な歩道における「屋根(アーケード)」の設置です。これがあるだけで、車椅子の方が雨や灰を気にせず移動できる範囲は劇的に広がります。しかし、すべての道に屋根をつけることは現実的ではありません。また、灰を迅速に除去する「克灰(こっぱい)」のシステムも、大通り以外では行き届いていないのが現状です。
私たちが考えなければならないのは、「物理的な設備」の充実を求めると同時に、それだけでは救いきれない「隙間」をどう埋めるかという点です。
4. 最も必要な対策は「他人事」から「自分事」への意識変革
私は精神障害を抱えていますが、幸いにも身体を自由に動かすことができます。だからこそ、灰が降れば自ら身体を守ることができます。しかし、この「動ける」という状態は、決して一生の保証があるものではありません。
人は誰もが、事故や病気、あるいは老いによって、いつ不自由な立場になるか分かりません。明日の自分や大切な家族が、車椅子や白杖を必要とする生活を送っているかもしれない。そう考えたとき、障害を持つ方の大変さは決して「他人事」ではなくなります。
・絆が生む「ソフトのバリアフリー」
一人の人間にできることは限られています。しかし、多くの人が「今の状況で困っている人はいないか」と周囲に目を向け、声をかけることができれば、それは立派な対策になります。
「灰がひどいですが、どこまで行かれますか?」
「傘を持っていますので、あそこまでご一緒しましょうか?」 こうした自ら関わりを持つ姿勢こそが、ハード面での不足を補う最大のバリアフリーとなります。当事者の方と話し、その大変さを直接知ることで、初めて「真に必要な助け」が見えてくるのです。
5.まとめ:共に生きる鹿児島であるために
鹿児島で生きる以上、桜島の灰と付き合っていくことは宿命です。しかし、その灰によって誰かが外に出ることを諦めたり、危険にさらされたりする状況は、私たちの意識一つで変えていくことができます。
バリアフリーとは、単に段差をなくすことだけではありません。心の段差をなくし、お互いの弱さを認め合い、助け合う「絆」を深めることです。一人ひとりが当事者意識を持ち、対話を通じて理解を深めていく。その積み重ねが、灰が降る空の下でも誰もが安心して歩ける「本当の意味で優しい鹿児島」を作っていくのだと確信しています。
≪文:ベルリン≫
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